しんぶん国民編集部記者 九十九晃
私は平成10年に兵庫県の宝塚市で生まれました。
中学生の時、歴史教科書を見ていると「日本がアジアを侵略した」といったことが書かれていて、「なにかおかしいな」と、疑問を持ったのを覚えています。
島根県の高校に進学して、現地で竹島問題に触れた時、ネットで発信しているだけではダメだと思い、地元で「竹島の日」の運動に参加しました。それをきっかけに、様々な街頭での運動に参加するようになりました。
しかし、運動をすすめるうちに立ちはだかる壁を感じました。そして、その壁を乗り越えるためには、愛国者の政党と議員が必要だと強く思うようになりました。
そんな中、愛国者の政治勢力と議員を作り出そうとしている鈴木信行代表と出会い、その気さくな人柄に惹かれて、お手伝いすることを決めました。
党に入ってみると、十年、二十年と長年にわたって運動を経験してきた人が多く、「言行一致」で何事にも行動がありました。そして何よりも議席獲得にかける真摯な思いがあり、頼もしく思いました。
平成29年に鈴木代表の葛飾区議会議員選挙があり、19歳になったばかりの私は頑張ってお手伝いをしました。大変なこと、苦しいこともありましたが、その分、勝利した時の感動はひとしおで、私にとってかけがえのない経験になりました。
当選した鈴木代表が、議会で朝鮮学校への補助金問題や、外国人生活保護問題について質問しているのを見て、運動の前進を実感しました。
日本国民党には国民、有権者から「頑張って」「期待している」とお声がけいただくことも多く、その期待を受けて小さなことでも成果がでると、とてもうれしいです。
愛知県 日本国民党党員女性
私は昭和50年に山と川に囲まれた岐阜県で生まれ、優しい両親のもとのんびり育ちました。
祖母が他界した時、形見分けで父から戦死した兄(私からして伯父)の手紙などを見せてもらいました。伯父は昭和19年にフィリピン島沖で戦死しました。わずか17歳でした。その手紙には家族を思う気持ちが綴られていました。それを読んで、戦死した伯父の死を無駄にしたくないと強く思いました。
そうして日々、働いて暮らしていく中で、自分でもなにかできるのではないかと思い、地元愛知県で、市民団体主催の北朝鮮による日本人拉致を糾弾するデモ行進に初めて参加しました。
平成28年7月に、参議院選挙東京選挙区に出馬していた鈴木代表の政見放送を観て、その考え方と行動力に感銘を受けました。
デモや街宣だけでなく、今の政治を変えるためには、自分と近い考えや思いを持った政治家や、政治家を目指している人を応援したいと思うようになりました。
日本国民党に入党すると、経験豊かな先輩方に出会えて勉強ができ、仲間たちと運動ができることが楽しく感じられます。
東京都 日本国民党幹事男性
私は昭和45年に東京都に生まれ育ちました。
20歳から2年間自衛隊に入隊し、除隊後は獣医の資格を取得して、青年海外協力隊として東南アジアの国々を訪れて活動しました。東南アジアの実状を見るにつけ、日本がいかに恵まれた国であるかを思い知らされました。祖先たちの努力と叡智の結晶がいまの日本であることを痛切に感じました。
それに比べて、現在の日本の政治に対して疑問を感じはじめました。
東南アジアの貧困はそのままなのに、その東南アジアから若者を「技能実習生」「日本語学校留学生」の口実で日本に連れていき、事実上の外国人労働者として酷使しています。そして彼らが貧困に陥れば日本で犯罪に走ります。
「これでいいのか」という思いが沸いてきました。
そうした時に、行動保守が外国人問題に切り込み、対韓国・中国において強い姿勢で訴えている動画を見て共感しました。
東京に戻り、靖国神社清掃奉仕を主催していた鈴木代表に出会いました。鈴木代表が語って実践する運動は、これまでの多くの経験と失敗を踏まえており、とても地道な行動を重ねた現実的なものでした。
日本国民党に入ってみると、勉強熱心な人が多いのですが、熱心なだけではなく、気さくに接することができ、運動をしていく上で励みになります。