戦時下を直接視察   ウクライナ訪問記②

日本国民党政策局長 川東大了

 表面は「平和」で「豊か」にしか見えなかったウクライナのブチャ。だからこそ、そこで暮らす市民の当たり前のような生活をしている光景に、「戦時下で祖国の為に強く生きる」人々の強い意志を感じた。
 
 そして、祖国がそんな時に日本に避難してきて、いまだにウクライナの地に戻らず、日本に居残っているウクライナ人は卑怯者、祖国を大切に思ってない奴だろうと思った。
 
 このような事を言うと「お前は非情な奴だ」「どんな事情があるかも知らずに、無責任に避難民の悪口を言うな」「お前が反対の立場なら、同じことを思うのか」と、腹を立てて批判を口にする人も多かろう。だが、私がそのブチャの町を見た時に思った事をそのまま書く。
 
 私は朝鮮半島について、色々と取り組んで来た人間なので、大韓民国の在日朝鮮人に対する感情を知っている。朝鮮人は日本人を「チョッパリ」と蔑称する。これは「豚の足」を意味する言葉だ。
 
 日本人の地下足袋が豚の足に似ている事から、朝鮮人は日本を蔑む「チョッパリ」と言ったりするが、同胞であるはずの在日朝鮮人には「パン・チョッパリ」(半分豚の足)と言う事がある。
 
 その理由は朝鮮戦争にある。「アコーディオン戦争」と呼ばれるほどの一進一退の激しい戦争で朝鮮半島は焦土と化し、多くの血を流した歴史がある。
 
 その歴史、記憶が彼ら大韓民国民に「在日は朝鮮戦争の時に逃げ出した卑怯者」「朝鮮戦争の復興に何の協力もしていない」「朝鮮戦争の大変な時期、復興の大変な時期に安全な日本で何不自由なく生活していた」(当時は日本との経済格差も大きかった)と思わせている。
 
 そして最大のものは兵役の義務だ。大韓民国民男性にとって、兵役の義務が民族の大きなアイデンティティなのだろう。よって、兵役の義務を果たさない在日朝鮮人は、大韓民国民にとっては同じ価値観を共有する「同胞」と思えないのだろう。在日朝鮮人が祖国に帰らない最大の理由がここにある。
 
 実際に「自分は朝鮮人だ。祖国は日本ではない。朝鮮半島だ。だから、祖国に戻る」と言って韓国へ帰国した在日朝鮮人も、祖国に帰ってから凄まじい差別を受けて、日本に再び逃げ戻って来た話もある。
 
 しかし、この大韓民国民の言い分は十分に納得するし賛同もする。当たり前の事だ。苦しい時に逃げ出しておきながら、難が去ってからシレっと戻って来た奴を信用なんか出来ない。再び国家に危機が迫ったら真っ先に逃げ出すに決まっている。
 
 これと同じ事がウクライナでも起きる事が私は危惧する。苦労を共にして、戦い、そして復興させてこそ仲間であり、信頼、共存は可能となる。ウクライナ戦争の出口は見えないが、仮にウクライナが大勝利し、ロシアから多額の賠償金をもぎ取って、平和と富を手中に収めた時、呑気にウクライナに戻って来た人間を誰が信用して歓迎してくれるだろうか?
 
 さて、話を少し戻し、ブチャの次はイルピンへと向かう。イルピンはブチャ以上に町が新しく綺麗になっていた。それだけ激しく町が破壊されたのだ。
 
 しかし、そんな辛い過去は運転手の説明から理解できるが、目に映る光景は「美しくて立派な町があり、そこで市民が平和で豊かに生活している」姿だった。
 
 電車も普通に動き、路面の電気バスも運行されていた。諸外国の支援あっての事かもしれないが、復興が終わっている町を見て、「復興」させる事も戦闘の一つと理解した。
 
 話は逸れるが、この理屈で長崎県の対馬など、国境の離島には莫大な税金を投入して、「そこに人が住んでくれているだけで祖国を防衛している事になる。だから、仕事しなくても不自由なく生活出来る支援をする」ぐらいの事をすべきと感じもした。
 
 なお、私は様子を見てインストールしようと思っていたのだが、ウクライナは空襲警報を出しており、受信するアプリがある。また、ネット上で防空壕の場所を案内するようなシステムもあるらしい。しかし、他の人間が避難を始めたらすぐに分かるし、その時は皆に付いて行けば良いという感覚だったので、そのアプリはインストールしなかった。
 
 
 キーウ滞在中、私が気づかない時に空襲警報が出ていたかもしれないが、私が初めて気付いたのはマクドナルドでシェイクを飲みながら休んでいる時だった。周りの客がザワザワとしだして異変に気付くと、店内の放送で「ウーウー」とサイレンが鳴っていた。店内の皆が、荷物を片付けて店外に向かっているので、空襲警報だと分かり、店外に出て防空壕へ行くのだと思った。
 
 店は営業を一時中止し、客は全て店外に出されたが、店の外は空襲警報とは無縁の光景だった。普通に通行人が平時と変わらないように歩いているからだ。偶然にも、店の隣が地下鉄の駅で、ウクライナの地下鉄は核攻撃にも耐える程に地下深い。そのまま防空壕になる施設だ。
 
 てっきり、そこに人々が相次いで避難する流れが出来ていると思ったら、店から出た客でも地下鉄の入り口に向かった人は、ほとんどいなかった。ちなみにウクライナの地下鉄は料金が一律らしく、改札は入る時だけで、出る時は無い。私は改札を超えて地下まで下りなかったので分からないが、空襲警報が鳴ったからといって改札口が解放された様子も無かった。
 
 おそらく、切符やICカードを使って正規の料金を払わないと「空襲警報発令したから入らせて」は通用しない感じだった。空襲警報から二十分ほどしたら、店は営業を再開していた。何となくであるが、訓練の為にわざと空襲警報を出しているのではないかとも思った。
 
 二回目はキーウからリヴィウへ移動するバスの車内で、何人かのスマホが空襲警報を受信した時だ。乗客は二十人ほど乗っていたと思うが、その時にスマホから音がしたのは三~四人ほどだった。
 
 音で知らせるモードや、振動のみで知らせるモードなどの設定があったりするのかもしれないが、音がするモードしかないとしたら、空襲警報アプリを入れていたのは五人に一人くらいという事になる。もっともリヴィウへ向かうバスだから、リヴィウの住民が多かったかもしれない。キーウ在住の人なら、もう少し空襲警報アプリを入れている割合は高かったかもしれない。
 
 さて、地下鉄の話にも少し触れておきたい。ネット情報だが、ウクライナの地下鉄を建設した当時、坂道は電車に負担となるので、極力、平坦に作る必要があったという。だが、ウクライナの土地は起伏が多く、平坦に建設しようとした結果、場所によっては百メートル以上の深度になってしまったという。
 
 ややスピードの速いエスカレーターで二分ほどかかる深さだ。私もいくつかの駅で地下鉄を利用したが、確かに深かった。また、交差点では日本だと道路の上に歩道橋があるが、ウクライナでは地下道があった。理由として察するに、こちらはトロリーバス(電気の路面バス)が走っていて、道路の上にトロリーバスを動かす為の架線が張り巡らされている。よって道路の上に歩道橋を設置した場合、この高圧の送電線が危険を及ぼす恐れがあるので、地下道を作るのではなかろうか? あくまで推測なので、違うかもしれないので、悪しからずご了承いただきたい。
 
 
 そんな事を見聞したり、感じたりしつつ、キーウを後にしてリヴィウに戻って二泊、天気もあまり良くなかった事もあり、リヴィウでは宿の部屋でのんびり過ごす時間が多かった。一応、リヴィウもキーウも有名な観光地には足を運んだが、戦時下の為に渡航者が激減しており、観光客はまばらだった。
 
 民間の旅客機はウクライナに乗り入れていないらしいので、陸路でしか入国出来ないから、なかなか観光客も行きにくいのは当然だ。
 
 日本国政府が「危険だから行くな」と勧告を出しているのだから、私が「いや、行って来たけど全然安全だったし、ウクライナを支援する意味でも観光に行ってあげて欲しい」と言う訳にもいかない。だから言わないけど、そう思ってしまうほど平穏だった。
 
 あと、これはウクライナに行ったから思ったと言う訳ではないが、私は「西側陣営」の支援の姿勢に強い不信感がある。友達が喧嘩している場合に置き換えると分かりやすいが、友達が悪者に襲われて身を守る為に戦っているなら、友達であるなら加勢して友達と一緒に戦えば良い。
 
 しかし、喧嘩に加わる事はしないで、小出しに「最近、こんな武器を作ってみたんだけど、使ってみな」と、中途半端な武器だけ与えるのは、「本当の友達」のする事だろうか?
 
 確かにロシアは核を持っているから、同じ核保有国が参戦したら、核保有国同士の戦争になり、それは第三次世界大戦を誘発しかねない。その理屈は分かる。しかし、中途半端な支援によりウクライナは負ける事はないのだろうが、一気にロシア軍を退ける事も出来ず、出口の見えない長い戦争に突入する事態になっている。
 
 戦争とは「ジジイが決定し、オッサンが命令し、若者が死んで、子供たちの平和や未来が壊される」と言った言葉を聞いた事があるが、その通りだ。今の西側陣営のウクライナ支援は、「本当の仲間」のやり方ではないと思っている。
 
 また、日本には北方領土という領土問題があり、その問題が生じた当時は「ソ連」だ。つまり、ウクライナは究極的には日本の領土を奪った(奪っていた)「敵国」だったと思っている。中国に空母を売却したり、北朝鮮にミサイルエンジンを輸出した疑惑があるのもウクライナだ。
 
 国連加盟国として、最低限の義務(?)があるのなら、それはやっても良いのかもしれないが、日本の領土を侵害していた国が、他国に領土を侵害されたからと言って、日本が支援する事には個人的には賛成しかねる部分が多い。
 
 ウクライナの領土を守る為に使う金があるなら、尖閣諸島の防衛、竹島、北方領土、あるいは北朝鮮に拉致された同胞の奪還に使うのが優先順位として先だろうと思う次第だ。
 
 さて、最後になりますが、今回のウクライナ渡航にあたっては仲間の方々からも色々と応援の声や支援なども頂きました。そんな仲間に背中を押されて、私も今回、無事にウクライナ訪問を終える事が出来ました。本当にありがとうございました。
 
(完)