竹島の碑闘争10周年 韓国民団本部前にて抗議行動
3月25日昼、韓国民団本部前にて鈴木代表以下、日本国民党員が「竹島の碑闘争10周年」に合わせて抗議行動をおこなった。
平成23年12月14日、韓国ソウルの日本大使館前に反日の「水曜デモ」1000回にあわせて売春婦像が設置され、霞が関の外務省が韓国人や左翼活動家によって「人間の鎖」で包囲された。
これに対する反撃として、我が党は韓国への「竹島の碑闘争」を開始。日本はもとより世界各地の韓国関連施設へ、「竹島の碑」を打ち込む戦いをおこなった。
その最初の第一撃が、平成24年3月25日に、東京都港区南麻布にある韓国大使館領事部民願室のある韓国民団本部前に「竹島の碑」を打ち込んだものである。これは当時、韓国側でも大きなニュースとなった。それから各所に「竹島の碑」が打ち込まれ、同年6月19日には、ソウルの日本大使館前にある売春婦像に、鈴木代表らが「竹島の碑」を縛り付けるに至る。
その闘争の開始から10周年にあわせて、最初の場所である韓国民団本部前で抗議行動をおこなったのである。
この日、鈴木代表以下日本国民党員らは、民団本部前に車を乗りつけ、警備の警察官らが十数人待機するものものしい中であったが、正面玄関前で鈴木代表による一連の「竹島の碑闘争」について語る動画を撮影。
そのまま、拡声器を用いて抗議演説を敢行した。
これに慌てた警察が「ここでの拡声器を使った抗議はご遠慮いただいてます!」と制止にかけようとするが、「遠慮はしません!ここで演説します!」と、制止を跳ね除けて抗議演説を続行。
鈴木代表が抗議演説を続けていると、民団本部から職員と思しき男性が出てきて、警備の警察官に何事かわめいていた。
恐らく「あれをやめさせろ!」と言ったところだろうが、そんなことは竹島を返して、慰安婦捏造を謝罪してから言うべきだろう。盗人猛々しい態度だ。
さらに九十九党員も演説をおこない、抗議活動を貫徹した。
【10周年】竹島の碑闘争を振り返る
ソウルの日本大使館前に売春婦像が設置されたことへの反撃として「竹島の碑闘争」は始まった。
まず、平成24年2月、東京都港区の韓国大使館前に「竹島の碑」を設置するように、港区役所と港区議会に求めたが、自民党親韓派勢力の圧力で潰されてしまった。
この時は、縦横1メートルぐらいの金属製のプレートか、石材での「竹島の碑」を考えていたが、「竹島は日本固有の領土」という端的な事実だけを記して、持ち運びも簡単な木材で良いのではないかという意見も出た。かくして検討を重ねた結果、縦1メートル、幅4.5センチ四方で木杭型の「竹島の碑」が完成した。
「簡単に地面に刺して設置できる」という点を重視して杭になったのだが、のちに杭型であったことが、韓国を攻撃する上で非常に効果的だったことが分かった。
3月25日の第一撃が韓国で報じられると、その反応を見て、「これは大きな運動になる」と判断。鈴木代表は即座に、「竹島の碑」の増産を指示。全国の同志らにも、各地の韓国関連施設前に「竹島の碑」を設置するように呼びかけた。
そして、第二撃目として4月17日に、北海道札幌市にある、民団北海道本部と札幌韓国領事館前に「竹島の碑」が立てられた。
それを皮切りに、京都、島根、大阪、千葉、兵庫と各地に「竹島の碑」が建立されていった。
そして6月18日には、鈴木代表ら2名が韓国へ入国。その日のうちにソウルの「戦争と女性の人権博物館」(通称:慰安婦博物館)に「竹島の碑」を立て、翌19日朝には、日本大使館前に設置されている売春婦像に「竹島の碑」を縛り付けて、抗議の意思を強く示した。同日夕方、無事に日本へ帰国。
これについて韓国報道機関が一斉に「杭テロ」と報じて、韓国世論は大騒ぎになる。
29日には、反日世論の高まりを受けて日韓軍事協定が署名直前に破断となり、自称元慰安婦ら1000人が鈴木代表を刑事告発。
7月9日には日本大使館にトラックが突入し、門扉を破壊する事件が発生。10日には鈴木代表ら2名が韓国入国禁止となる。
8月になると、李明博大統領(当時)が竹島に不法上陸し、天皇陛下(当時)に謝罪要求をする暴言を吐く事件が起きた。
これに対して、即座に反撃。8月22日、村田春樹氏ら2名が韓国に渡り、「慰安婦博物館」と、反日宣伝の拠点である「東北アジア歴史財団」に対して「竹島の碑」と「嘘はやめなさい」と書いたビラを貼り付けて、無事に帰国。
27日に韓国は、村田氏ら2名を韓国入国禁止処分にした。
その後も、反日姿勢を強める韓国に対して、「日韓国交断絶」を訴える運動がおこなわれ、多くの参加者が集まり、運動の輪が広がっていった。
9月26日には、石川県金沢市にある朝鮮人テロリスト尹奉吉の慰霊碑に「竹島の碑」が設置されたので、鈴木代表がこれを自らのブログで紹介。
すると、なんと韓国がこの行為を理由に、鈴木代表を韓国の裁判所に民事と刑事で告訴したのだ。
しかも、民事では賠償命令がくだり、刑事では検察が起訴したのだから驚くべきことだ。日本国内で起きたことに対して、韓国の法律に基づいて起訴するのだから、無法国家としか言いようがない。
その翌月の10月には、党員をアメリカ・ニューヨークに送り込み、パリセイズパークにある慰安婦碑に竹島の碑を立て、韓国総領事館の外壁に「竹島ステッカー」を貼り付けて無事に帰国した。
全ては紙幅の関係で紹介しきれないが、平成24年の「竹島の碑闘争」は、運動史に残るものであった。