選択的夫婦別姓に賛成する人達とは(日本国民党組織統制局長 荒木紫帆)
現在我が国では、家族と言う括りの中に入りたくない、結婚しても『個』の存在でいたいと願う人々がいる。
某企業のアンケートに拠ると、独身女性の約43%が、選択的夫婦別姓に賛成しているとのことである。
そこで、彼女らが言う夫婦別姓の『メリット』を挙げて、それがどのようなものであるのか考察して見たいと思う。主に四つである。
①姓の変更手続きが不要になる。
住民票、運転免許証、パスポート、クレジットカードなどの氏名変更をしなくて済む。
変更するには仕事を休む必要もあり、場合によっては手数料が掛かる。離婚した場合は、また手間を掛けて元に戻さなければならない。
②仕事のキャリアが保てる。
今まで築き上げてきた信用と実績が、姓が変わることでゼロに戻ってしまう可能性がある。
会社員の場合、社内や取引先の人に個人を認識して貰えなくなったり、研究職の場合、論文の名前が変わってしまうことで実績を失う可能性がある。
③プライバシーが守られる。
職種によっては結婚したことが知れると、不利益になる場合がある。
④姓を失わなくて済む。
自分の姓に愛着があったり、相手の姓を好きになれないことがある。姓を自分の代で途切れさせたくない。
以上が別姓を選択する『メリット』であるが、違和感を禁じ得ない。
何故ならば、この4つに於いて婚姻相手や、その家族が受ける『メリット』は一切挙げられていないからだ。
代わりに、自己に関するメリットで溢れている。『私』と言う個人が被る不都合を極力排除し、権利を守るためには別姓でいたいと主張しているに過ぎない。
ここからは、三十数年前に結婚し、姓の変更をした自身の経験から、これら4つをひとつひとつ考えてみたい。
①姓の変更手続きは、一、二日休暇を取った程度で変更できた。昔と違い現在では、インターネットで済む手続きも多いだろう。
手数料など数百円で済む。大変だった記憶は全く無い。この時離婚のことを考えるのも可笑しな話だが、また数日掛けて旧姓に戻せば良いだけである。
②通名使用が認められているのだから、旧姓のまま仕事を続ければ良い。私の身近にもそう言う知人は大勢いる。政治家にもいるではないか。
また、姓を変えても何ら変わりなく活躍している女性も多い。周囲に変更した旨を告知し、周知徹底すれば良いだけである。
③これも通名使用を徹底すれば良い。職場がそれを許さないのであれば、職場に問題があるのである。
④確かに当時、姓が変わることに一抹の寂しさはあった。しかし、婚姻により、同姓になれる喜びの方が大きかった。それが普通の感情ではあるまい。
そして、新しい姓には半年程で慣れた。因みに、身近な例で恐縮だが、私は二人姉妹の次女で、郷里の家は長女である姉が継いでいる。
姉と結婚した義兄は次男だったので、婿入りして姓を継いでくれた。結婚で姓が変わるのは女性だけではない。一人っ子同士の結婚の場合、家(姓)の存続問題も起きるだろう。
だがこれも現行の制度で解決出来ることである。
夫婦別姓に賛成する人達は「選択的だからよいではないか」と言う。それが世界の潮流だとか、男女平等でよいとか、漫然と賛成し、反対派の意見を「家族の解体に繋がるなど大袈裟だ」と嘲笑する。
そのような人達を、『千丈の堤も蟻の一穴から』の精神で夫婦別姓を推し進めている、左派市民運動家は見逃さない。
彼らは『蟻の一穴』の怖さを所謂保守陣営よりも熟知している。だからこそ、過去には自衛隊の海外派遣に猛反対し、憲法は一語一句変えさせまいとして頑張っている。
『選択的』は左派活動家の『蟻の一穴』なのだ。
また賛成派は、「『事実婚』では、配偶者控除や医療費控除の夫婦合算などの優遇措置が受けられず、パートナーが亡くなったときには、財産相続が難しくなる」ので、別姓による婚姻を認めろと言う。
つまり、家、家族に縛られない『個』としての己を確保しつつ、婚姻によって得られる権利、優遇措置も欲しいと主張している。単なる我が儘である。
彼らの言う別姓による『メリット』は、裏を返せば同姓になることの『デメリット』であるが、縷々述べたように、数ヶ月から半年あれば解決できる些細なことばかりである。
その些細な一手間のために、権利を求めて争うことや、一生連れ添う夫や妻、同居するかもしれない親、ましてや我が子らと、別々な姓を何十年も名乗り合うことが奇妙であると、凡庸な私は思うのである。最後に、④で示した「姓が変わることへの一抹の寂しさ」を克服した考え方として『個人主義』があったことを追記しておく。「他家に嫁ぎ、姓が変わろうとも私は私。外見も中身も何ら変わることはない」との考えに至り、心が軽くなった。
左派思想をお持ちの方々にとっては慣れ親しんだ考え方だと思うので、別姓を選択する前に参考にして頂きたいものである。