令和3年ベストバウト(日本国民党代表 鈴木信行)
令和3年は武漢発コロナウイルスの感染拡大に振り回される一年でした。公的行事は中止となり、集会にも制限下での開催が求められました。
コロナ禍制限下での活動でしたが、日本国民党は精一杯活動しました。即行動という意味では評価すべき活動がありました。
年末に「鈴木信行ブログ」で発表した鈴木信行が決めた年間活動ベストバウト(一番)を紙面でも取り上げたいと思います。
①竹島の日式典会場で政務官に直談判
2月22日に島根県松江市で開催された「竹島の日式典」会場内で、「大臣が来いよ」と和田義明政務官に叫んだだけではありません。山本和幸党員は、一部と二部の休憩時に控え室で和田政務官に詰め寄り、小此木領土問題担当大臣が海上に来るように直接要請しました。竹島の日関連の要請活動を内閣府・外務省・農林水産省・文部科学省におこないました。特に文科省では大臣室で秘書官に要請文を受け取っていただきました。
②愛知県で時局講演会
愛知県支局主催で金友隆幸情報宣伝局長が、名古屋市内で講演会を実施しました。
③所沢駅前「街頭演説会」
所沢で街頭宣伝を行なうと、正義中毒に犯された反日集団「しばき隊」が大勢集まります。怒号と罵声の中で街頭演説会を挙行しました。茨城県那珂市から原田陽子市議が応援に駆けつけてくれました。
④馬場能久氏と福岡で再会
先の所沢演説会に鈴木信行は九州出張のために参加出来なかったことは残念でしたが、福岡市で馬場能久さんと再会できたことは大きな出来事でした。それまで電話では、お話ししていたのですが、短い時間とはいえ、馬場さんと直接話せたことは貴重な時間となりました。かつて馬場さんとは全国組織の代表選挙を争い戦った間柄だったのです。ベットの上の馬場さん姿を見て、感激の対面でした。
⑤韓国大使に直接抗議
5月24日、東京駅丸の内口にて、皇居での信任状捧呈式を終えた韓国大使に金友隆幸情報宣伝局長が直接抗議しました。抗議の声は大使に届いたことでしょう。
⑥東京五輪選手村に韓国選手団が掲げた反日横断幕を撤去させる
東京五輪の選手村に反日横断幕が掲げられました。掲げた韓国選手団に対して素早く抗議活動を行ないました。北朝鮮が「悪性ウイルスより危険」と日本国民党を批判したほど、インパクトがある活動でした。
⑦群馬の森朝鮮人追悼碑撤去裁判勝利
8月26日、「群馬の森」朝鮮人追悼碑撤去裁判で、東京高裁は地裁判決を破棄し、朝鮮人碑の撤去判決を下しました。劇的な判決でした。前橋地裁から支援してきた活動だけに、感激の瞬間でした。
⑧9月18日、北京五輪ボイコットデモに街宣車を出動
街頭演説会を有楽町で開催しました。日本国民党は実行委員会に加わり参加しました。6月4日の天安門事件抗議活動と同じく、中国共産党政権に弾圧されるアジアの諸民族、香港、中国民主派らと連帯した活動です。
⑨生方幸夫代議士が拉致被害者「生きている人はいない」と発言に抗議
永田町の衆議院議員会館前に街宣車をつけ抗議演説を行ないました。議員会館に抗議文を持って行くが居留守を使われたので、松戸市の地元事務所前で抗議街宣を行ないました。いずれも代議士本人不在でした。
⑩葛飾区議会選挙で鈴木信行落選
これまで以上に幅広く多くの応援をいただきましたが、結果は落選でした。鈴木信行が本来の右派としての立ち位置を見失った戦いが仇となりました。選挙後は反省し本来の戦いのスタンスに戻しました。
⑪日本国民の集いに全国の党員が結集
12月5日に「日本国民の集い」を開催しました。第一部で日本国民党としんぶん国民の総会が開催され、令和4年の活動方針が討議され承認されました。葛飾区議選での敗戦直後の集会でしたが、集まった党員の士気は高く意気軒高でした。
⑫山口那津男宅抗議街宣で仮処分
対中非難決議に反対する山口那津男公明党代表の住む葛飾区西亀有にある自宅へ抗議に行きました。
亀有警察署が当初の約束を反故にして近づけないので、街宣車を出動させて抗議に行きました。活動後に、党員2人が山口那津男氏から訴えられ、西亀有周辺に近づけなくなりました。
上記以外にも多くのエントリー候補はいくつもあったのですが、④は私的な思いも取り上げさせていただきました。
令和3年のベストバウトの運動は、①竹島の日に政務官に直談判か、⑥東京五輪韓国選手村に反日横断幕撤去のいずれかと考えたのですが、「⑥の五輪選手村から反日横断幕撤去」に決定しました。
公安調査庁も令和3年の国内情勢に掲載し、北朝鮮が「悪性ウイルスよりも危険」と日本国民党を批判したことが報告されています。時局に即時対応した党員らの活動を評価したいと思います。