全国初 大阪市、ヘイトスピーチ条例で川東大了氏の「氏名公表」へ

大阪市は12月27日に「ヘイトスピーチ抑止条例」に基づき、ヘイトスピーチと認定される街宣活動をした人物として、我が党の川東大了政策局長の氏名を公表する全国で初めての措置をおこなった。川東氏は元来自分の素性を全て明かして運動しており、今回の措置について東京新聞も「川東氏は実名でインターネット上に自らの主張を発信しており、氏名公表に抑止効果があるかどうかは不透明だ」と指摘している。今回の措置について川東氏の所感を掲載させていただく。(編集部)

川東大了

川東大了政策局長

大阪市に「ヘイトスピーチ認定」(以下:認定)を受けて

一言で言うと「やっと、ここまで来たか…」という感想です。平成21年に京都朝鮮学校が不法占拠した公園の奪還から10年が経過しました。振り返ってみればアッと言う間のように感じられます。

当時の動画を見ても「ああ、俺若いな…」と思ってしまいます。あの時は「政治」を全く信じていなかったので、市民運動によって「特定の政治家や特定の政治勢力の応援じゃない」「我々が政治家を動かざるを得ないように」と言う立ち位置での運動に入り、そして、私なりに「出来る」「これで何かを動かせる」と信じていました。

10年の歳月を経て、今は「やはり政治で変えないといけない」という、当時とは正反対の立ち位置になり、政治的中立な市民運動から政治そのものの世界に入りました。

「認定」は通過点

10年前の私であれば、今回のような「認定」は勲章を貰ったように喜んだと思いますが、今はあまり欲しくないプレゼントを貰って「こんなん要るかい!」って訳でもないけど、とりあえず「ありがとう」と言って貰っておいて、「誰か欲しい人とかいたらあげようかな」ぐらいの感じです。

本来の原点は「日本を守る」であり、もっと言えば「素晴らしい日本を守って、次の世代、子供や孫に残し、子孫から『素晴らしい日本を残してくれてありがとう』と言って貰える」ようにする事であり、「認定」を貰う事は目的でもなんでもなく、途中経過の一つの通過点(?)のような物だと思います。

「言論の自由なし」は世界標準

私は、民主主義の信者ではありません。よって民主主義を大事にする人間ではありませんので、特定の政治主張が弾圧されたり、特定の言論が弾圧されたりするのが「良い」と言わないまでも「それが世界の標準」と考えているので、気にはなりません。

支那や朝鮮などに「自由に意志を表明する自由」などありません。

人類の歴史を見れば「何のリスクも制限もなく、自由に言論が出来る」など、極めて稀な事です。ほとんどの歴史において、権力者や支配者に対して、暴力的な反逆は勿論の事、批判を口にするだけで粛清されたり、逮捕・投獄されたりするなどは「常識」とも言えます。

日本も戦前は「治安維持法」がありましたので、例外ではありません。(治安維持法自体は、私は悪法とは思っていません)

そういった意味で、世界の常のように、今後はリスクを背負って言論や政治主張をしなくてはならないだけの事であり、更には「権力者にとって都合の悪い政治主張は、法によって処罰・弾圧される」時代、つまり民主主義の看板を堂々と下した状態になる事も、私は実は歓迎します。

危機を機会にする

危機意識のない人間には国を守れないので、多くの国民に「危機感」をもたらす事態こそに、活路もあると考えています。

そう言った意味で「やっと、ここまで来たか」であります。

とは言え、まだ支那がチベットで、北朝鮮が国内でやってるような「即時、当局に拘束されて収容所送り、生きて外に出られない」という状況でもなく、多少の不利益は被るかもしれないが、多少のリスクを覚悟したら、未だに何でも自由に出来るとも言えます。

その意味では「やっと、ここまで来たけど、まだまだ先は長い」のです。拙い長文となりましたが、「ヘイトスピーチ認定」の感想を述べておきます。

(しんぶん国民 令和2年1月号より)