ワンイシューな異臭騒ぎへの対応策(寺武清重)
自公が政権復帰してからというもの、必ずしも与党の政権運営に満足していなくても、対案を出さず、はなから失言待ちに徹している野党には任せられないとして、多くの有権者は与党の「無難な政治」を容認している。この状況は今後も当分続くことだろう。
世の中には一定数、当たり前であることを良しとしない変わり者がいて、その者達はわざわざ秩序の安定をありがたがらず、圧勝確実な与党を追認したりはしない。特別支持する政党がなくても、政治的関心はそこそこあって、棄権することはない。投票所の前に設置された掲示板を眺めながら、退屈な政治をかき回してくれそうな候補者に、さほど期待もせずに投票する。このような有権者は、人との繋がりを避けて暮らしていることが多く、実数を把握するのは難しいが、都市部を中心に増加傾向にある。戦略上、政治的立場を曖昧にしながら、既成政党とは異なる公約を平易な言葉で主張するワンイシュー政党は、受け皿になりやすい。
現代の都市部はペットブームである。仮に、ペットの排泄物の後始末をしない飼い主に対し厳罰化を求めることだけを政策に掲げる「ペットの糞害から国民を守る党」(略称P国党)が候補者を擁立し、犬の糞害(ワン異臭)に悩む全国被害者の組織票と、与党の勝利に同調しない変わり者からの票を取り付ければ、議席獲得も決して夢物語ではない。
「よりまし」な政治制度の中で
現に7月に行われた参議院選挙において、憲政史上初のワンイシュー政党が誕生した。党首は話題になった政見放送での挑発的なスタイルを、国会議員になっても貫いている。有権者は過激さをも容認して投票したのだから当然なのだが、党首に否定的なメディアの解説員や知識人は、民意をまともに分析することなく、単一公約の実現を訴えるだけでは国政政党は務まらないと、通り一辺倒な批判を繰り返すばかりだ。
確かに、無知な国会議員やそれらで構成される政党は害悪だ。何故といって、我が国の歴史伝統文化に対する高い見識や思想を備えず、ミクロな現世利益だけを公約に国民を先導するような議員ばかりが当選して立法作成に携われば、国は極めて正しい手続きによって歴史と断絶される危険性があるからだ。
民主制度が如何に崇高な政治制度か、義務教育で徹底的に叩き込まれた記憶があるが、果たしてそうだろうか。民主制度はもともと下世話でポピュリズムな衆愚政治的要素を内包しているにもかかわらず、戦後の我が国では軍国主義と対比させることで、過度に持ち上げられすぎてきた。元英首相のチャーチルが評したように、所詮民主制度は、最悪の政体であるが、よりましな政治制度に過ぎないのだ。だから、有権者はどうしようもない政治制度の負の側面を理解しながら慎重に投票しなければならない、などと今更分かり切ったことを講釈するつもりはない。というよりむしろ、私は敢えて民主制度の負の側面にこそ期待し注目している。
事なかれ主義が優先されがちな官僚や政治家とは違い、市井の民は、諸外国への忖度なしに国益を追求する。顔を出さないネットの掲示板は本音で溢れかえっている。無記名投票だからこそ、純粋な意思表示が可能な民主制度を、国民の思いを国会に届けられるシステムとして利用しない手はない。
とはいえ、現時点で右派勢力が国政選挙で議席を獲得することは絶望的と見ていい。日本国民党は当面、地方選挙に注力していく方針だ。従って、政策的に一致できれば、国政政党との選挙での協力は検討に値するだろう。我が党はぶれることのない思想政党だからこそ、無思想な政党に手を貸すことが可能なのだ。今後も多数派たりえない現実を受け入れつつ、ワンイシュー政党の動向を注視していくこととしよう。
日本国民党事務局長 寺武清重
(しんぶん国民 令和元年9月号より)