【先人を偲ぶ】第三回 大平光洋先生
大平光洋先生は国際武道大学理事で日本国民党の顧問でもあった。大平先生は昭和31年のメルボルンオリンピック重量級で入賞されたレスラーだ。強さにかけては伝説的なものがあった。空手の大山倍達氏と柔道の猪熊功氏とレスリングの大平先生の三人が腕相撲して、一番強かったのが大平先生だったという逸話もある。
精神的にも肉体的にも強かった。日本レスリング界に対する貢献に加え、昭和53年に中国が尖閣諸島侵略を虎視眈々と狙い始めたころに、日本人による尖閣諸島の上陸作戦を敢行され、民族派による尖閣諸島の魚釣島上陸と滞在を支援した。先生は自分でセスナ機に乗り込み、魚釣島に籠城する人に食糧を投下したのだ。
先生は各界に幅広い人脈を持ち大勢の人から慕われていた。平成27年11月に鈴木代表を事務所に呼んで朝鮮総督府に飾っていた大きな絵画を渡して見せた。韓国では国宝級の絵画ではないかと言われている物だった。「これを韓国から入国禁止になっている鈴木信行が持っていると言ったら韓国人たちも悔しがって面白いだろう」と豪快に笑っていらっしゃった。
我が党の組織改編時、真っ先に鈴木代表を支援し、日本国民党の顧問を引き受けてくださった。
晩年も傍らに握力を鍛えるハンドグリップを置いているほどお元気だったが、平成30年4月29日、永眠。享年85歳、法名は威光院釋剛真。通夜・告別式に、鈴木代表以下、党員有志一同で謹みて葬儀をお手伝いさせて頂いた。
そして大平先生が創設した大洋社代表を鈴木が受け継いだ。