党代表略歴
鈴木 信行(すずき のぶゆき)
昭和40年8月5日生まれ、生まれも育ちも東京都葛飾区鎌倉。
葛飾区議会議員。議会では一人会派として活動。葛飾区議会文教委員、都市基盤整備特別委員を務める。
葛飾区立鎌倉小学校、葛飾区立奥戸中学校卒業を経て東京学館高等学校中退。建設業に従事、現場の叩き上げで建設工事会社設立に携わり、早朝より汗を流しながら夜は現場関係の資格取得や研究に勤しむとともに硬派な思想書や歴史書を読み漁る多感な日々を過ごす。
青年時代より民族派運動に加わり、先輩や同輩を訪ねては議論を重ねる。平成6年3月には政治結社・現代維新社を自ら立ち上げる。
野村秋介はじめ右翼民族派の候補者の各種選挙や政党活動に力を注ぐなか、平成19年6月、第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から維新政党・新風公認候補として自ら立候補。憲法・教育・国防の論点から当時の政権の政治姿勢を批判、「美しい国より強い国」「北朝鮮くらいアメリカに頼らずとも叩ける国に」と提案、21,548票を右翼民族派候補としては大得票を獲得するも落選。維新政党・新風本部第4期代表就任後、第22回参議院議員通常選挙(平成25年7月執行)では、東京都選挙区で77,465票の支持を集め、大政党の次点につく得票を獲得し、全国から注目を浴びる。続く平成28年7月は同じく東京都選挙区において42,858票を得票。平成29年11月、生まれ育った地元・葛飾区議会議員選挙で葛飾区全域での幅広い支持を集め2,587票獲得、初当選。
平成23年8月には、竹島問題に関する視察調査の一環で3人の国会議員と韓国・鬱陵島を訪問しようとするも様々な妨害工作に遭う。
日本に竹島の領有権主張をさせないために慰安婦問題を持ち出して「独島」領有の既成事実を塗り固めようとする韓国に、日本国民による抗議の意志を表すべく、平成24年6月、駐韓日本大使館前の慰安婦少女像に竹島の碑を縛り付け、韓国反日世論を爆発させることで韓国当局と政府民主党が進める日韓軍事情報協定締結直前で破談に追い込む。同年7月、韓国当局の怒りを買い、韓国入国禁止措置。韓国当局より死者名誉毀損で指名手配中。
また、朴槿恵・元韓国大統領や文在寅・韓国大統領などを竹島に対する不法上陸の罪で出入国管理法違反で刑事告発するなど、領土問題、特に竹島問題に対しては常に目を光らせる。
まさに、座右の銘である「積極一貫」の如し。訴えるべきだと考えたことは必ず提案し実践していくのがモットー。
愛称は、「のぶちゃん」。
「どうしたの?」と、誰にでも気さくに声をかけながら耳を傾け、親身に相談に乗る。分け隔てのない振る舞いは、青年時より一貫して変わらない。
妻(平成23年歿)と一女二男をもうけ、今では孫をかわいがる姿も。
休日には各種ボランティアを主宰。靖国神社清掃奉仕有志の会代表として、老若男女を集め奉仕活動に取り組む。周囲に必ず漏らすことがある。それは「目的は、靖国神社の境内をお掃除することではなく靖国神社の英霊に感謝を捧げること」なのだと。
そのかたわら、台湾やASEAN加盟国などアジア諸国との国際親善をめざす一般社団法人フィリピンエキスポ実行委員会代表理事・実行委員長で民間外交にも取り組む。肌の色が違う外国人の輪の中に入り、慕われる姿に驚く支持者も少なくない。
毎日の日課は、神棚と仏壇の前で手を合わせて人としての道を考えること。10年以上欠かさないのが自身のブログ更新。国内外どこにいても毎朝毎晩国内外の仲間に呼びかけを続けている。
また、平成24年には一念発起。鈴木家先祖代々で受け継ぐ浄土真宗本願寺派の中央仏教学院で修行、妻を亡くした最中も仏の道を学ぶ。
アジアの連帯を目指す「大洋社」会長(大平光洋創設)、現代維新社代表、現代維新研究会代表、カゼシン実業株式会社代表取締役、社会福祉法人理事など各種団体代表・役員を務めながら、日本国民としてなすべきことは何かと考えながら日々行動中。