党史
時代が昭和から平成に変わり、国内外情勢が激動を極め、政治の混乱と腐敗堕落に対する国民の不信が高まった頃、かねてより愛国者の大同団結による組織政党の必要性を考えておられた山崎幸一郎先生は、東京都内の同志たちを糾合し、全国組織に参画する。山崎先生はその党名に「日本国民党」を推したが成らず。平成8年1月27日に政治団体「維新政党・新風」の東京都における支部「維新政党新風東京都本部」を結成して組織の中核を担う。首都東京という人口日本最多の土地柄と、東京都本部党員たちの積極果敢なる活動によって、東京都本部は瞬く間に組織内最大勢力へと成長し、党本部に二代目代表の松村久義、三代目代表の鈴木信行、幹事長に荒木紫帆など多数の幹部を輩出する。
平成22年に鈴木が党本部代表となってからは、ソウルの日本大使館前に売春婦像を設置したり、大統領が公然と天皇陛下に謝罪要求発言するなど反日姿勢を強める韓国と、組織をあげての徹底した対決姿勢を鮮明にする。平成24年には、鈴木らが韓国ソウルの日本大使館前にある売春婦像に竹島の碑を縛り付けるなどして、締結されかけの日韓軍事情報協定が破談となり、韓国政府が実行者である鈴木以下党員四人を韓国入国禁止措置にして、鈴木を「指名手配」する大騒動となる。こうした流れを受けて、平成25年7月21日投開票の参議院選挙東京都選挙区では鈴木が過去最高となる77465票を獲得する。
しかしながら平成29年、かねてから上述の対韓国闘争を巡って路線対立のあった党内の一部親韓日和見主義集団と訣別する事となり、7月7日、「維新政党・新風」から脱退して「維新政党新風東京都本部」として独立。同調する全国の党員たちも行動を共にする。同年11月13日の葛飾区議会議員選挙で鈴木が2587票を得て初当選。
平成29年12月17日、総会で新たに党名を初代代表山崎先生の念願であった「日本国民党」へと改称して原点回帰を図り、鈴木信行を代表として、新しい綱領、規約、政策方針、活動方針を採択する。