「朝鮮人6000人虐殺記念碑」を後世に残してよいのか(日本女性の会 そよ風代表 鈴木由喜子)

真実の慰霊祭

 東京都の公園施設には教養施設と定義されるものがあり、そのうちの「記念碑」として位置づけられているのが、関東大震災朝鮮人追悼碑である。

 つまり、我々は税金で、都立公園の、ど真ん中に、全く科学的根拠のない「朝鮮人6000人虐殺記念碑」を保持しているのだ。

 この、謂わば、虐殺記念碑は、日朝協会と共産党が建て、東京都に寄贈したもの。それは、北朝鮮を訪問し、共産主義を礼賛した美濃部元知事の施政下で議会決議も経ずに受領された。

 一方、都立横網町公園は両国の元被服廠跡地で、ここに避難していた3万5000名が一瞬にして、火災旋風に巻き込まれ、落命された場所でもある。

 その方々を追悼する大正大震火災石原町遭難者碑(以下、石原町犠牲者碑)は、公園マップにも載らないほどの片隅に(現在はそよ風の抗議で掲載)追いやられ、ひっそりと建っていた。

 私達は、その姿の忍びなさに打たれ(現在は周囲が舗装された)この石原町犠牲者碑の前で、先祖の名誉を守るために、慰霊祭を執り行うことを決意した。

早いもので、慰霊祭も今年で5回目

 今だから言えることだが、私たちにとって、敵は何をするかわからない連中に思え、慰霊祭の朝は、今日は無事に帰れないかもしれないと、覚悟し、家を出た。不安を抑えようと、仲間と靖国神社参拝もさせて頂いた。すると、あまりにも、小さな戦いに怖気づいている自分を戒めることが出来た。

 実は、政府は、都の「虐殺記念碑」の碑文を真っ向から否定する閣議決定をしている。

 私達がこの碑文について、東京都に、疑義を呈し始めたのは平成27年(2015年)くらいからで、ブログやチラシで訴え続け、平成28年(2016年)に初めて、両国駅前で、6000人には根拠がないと訴える街宣をおこなった。

 これらが、影響したかどうか確かめる術はないが、翌年の平成29年(2017年)に当時民進党の有田芳生参院議員が質問主意書で、「政府の中央防災会議の報告書に、日本政府が『朝鮮人虐殺』に関与したことを示す記述が含まれている」として、事実関係をただした。

 それに対して、政府は「関東大震災の際に起きたとされる朝鮮人、中国人の『虐殺事件』への日本政府の関与について、『調査した限りでは、政府内にその事実関係を把握することのできる記録が見当たらない』」と答弁することを閣議決定している。

 そもそも、この中央防災会議の報告書は、反日思想に満ちた在日韓人歴史資料館初代館長姜徳相氏や『関東大震災時の朝鮮人虐殺の国家責任を問う会』の山田昭二氏の著書を参考文献にするなど、戦後レジーム史観が垣間見える。更に、政府は「報告書は有識者が執筆したものであり、記述の逐一について政府として答えることは困難である」と説明。つまり、報告書は、有識者の学説によるもので、政府としては断定しない、と答えているのだ。

 一方の意見だけが日本の言論空間を覆っている事に疑義を呈している私たちには、大変心強い答弁である。

 私達は東京都に、政府との見解の齟齬についても、問いただしたが、今のところ、納得のいく答えは得られていない。

 群馬の森の朝鮮人碑に抗議の声を上げてから、群馬県が全面勝訴を勝ち取るまで、10年の歳月を要した。戦後レジームの壁はとてつもなく厚い。しかし、自分たちの父祖が、やってもいない6000人虐殺記念碑を、公園の一等地に建てさせ、自国を貶める集会を開かせている国は、世界のどこにもないと思う。

日本女性の会 そよ風

公式サイト http://www.soyokaze2009.com/